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備えておくことは大切。



毎日の定時の起床、ルーティンを続けることは大変なことです。

【もういいやっ止めよう】と言ってしまって終わらせるのは簡単なことです。

人の體には規則性が必要です。正しいリズム、これが體の調子を整えるのです。

もし毎日體の調子が良いようなら、後は日頃からの【感謝の氣持ち】だけです。

今日もご先祖様の存在を意識しながら合掌します。

【いつもありがとう・ありがとう・ありがとう】

 

今日の院長の独り言

 

【自分がもし病氣になったら・・・・】

 

人間の多くは必ず何かしらの病氣になります。

大小あるけれど、大きな症状に見舞われてしまった場合、様々な処置を施すことと考えられます。

 

本人がもし判断能力が無かったり、意識がなかった時にどのようにするかは誰かに前もって、もしくは文章として残しておくことが賢明なのかもしれません。

 

自分自身の意思、尊厳を守るためにも準備は必要だと考えます。

 

例え話でよく聞くのですが

 

病氣になって物が食べられなくなった場合の措置

 

病院に行くと多くは誤嚥性肺炎を懸念して、初めは栄養剤などの点滴をし、最終的には【胃ろう】でしょう。

腹部に穴をあけて直接粥状の食べ物を注入するようにすることです。

 

この時点で人間としての尊厳は奪われてしまっていると私は考えます。

 

【胃ろう】にすれば、舌も喉も筋肉ですから使わなければ日に日に衰え、最終的には機能停止、使いものにならない状態になるのは目に見えています。

 

本人以外の人達にとって胃ろうなどの措置は、周りに迷惑をかけず、手間も少なくなり、安心材料になると思います。

そうした説明を病院側から受けることで、日本人特有の【人に迷惑をかけない】という考えが先行して、それが良いと判断しがちになります。

 

しかし、実際に本人ではなく周りの他の人に【胃ろうについて】自分自身の意思を聞いた時、胃ろうはしたくないと思うはずです。

 

また人間が咀嚼をすると言う意味

脳の血流を良くし、幸福感や満足感を与える意味では、人間にとって必要な動作なのです。

 

そうした機能を失われた人間はどのようになるでしょう??

しかも病院に入れば強制的に奪われてしまうことだってあります。

生きていて楽しいのでしょうか?

三大欲求の一つである【食欲】を奪われるのです。

 

【胃に食べ物を注入しているからいいじゃないか?】と思いがちですが、

咀嚼をして味覚を楽しみ、飲み込んで食道を通って胃に収まる。

 

この感覚的に伝わる神経が大切なのです。

 

この一連の動作が人間としての欲を満たすのです。

脳が喜び、體が喜ぶのです。

 

病院に入るということはそう言うことが奪われてしまうとことです。

あなたはどのように判断しますか?

 

まず今元氣であるのなら、病氣にならない體作りを考えなければなりません。

もしなったとしても、都度どのように対処するかを考えなければなりません。

 

それは様々な情報を駆使して自分に合った方法を見付けるのです。

医療と食品会社は密に繋がっています。

 

長年食べ続けたもので、いずれ病氣に罹るように仕組みづくりがされているとしたら、どのように考えて生活することが望ましいのでしょう。

 

自分の目で全て確かめ、感覚的に判断し、自分を大切に扱うことで対処法は出てくると思います。

 

その対処法は、万人に共通する事はありません。

十人十色・千差万別です。

 

これから起こるかもしれないあなたの體への異変、病氣対策に対して、あなただけの考え方、方法を見付けましょう。

 

【リスク回避】です。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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