健康であればどのようにもいかようにも考え行動できる。
病氣をして動けない體になれば、健康は素晴らしいと実感できるはず。
でも、直ぐに忘れてしまうのが人間です。
今日も朝から風がビュービュー春一番が吹いていますが、元氣に定時の起床!
ブレない氣持ちが大切だなぁ~と感じています。
今日もご先祖様を意識して合掌します。
【いつもありがとう・ありがとう・ありがとう】
今日の院長の独り言
【読書をしているとわかることがある。】
紙の本を読むことが少なくなっているようですが、何故なのでしょう!?
【本は知識の宝庫】
でも、本を読む時間がないという方は多いと思います。
それは【ない】のではなく、【作らない】だけなのです。
人間は常に知る権利があると思います。
でも様々な言い回し方で、何を言っているのか理解できない事があります。
例えば、国会の答弁を聞いてわかると思いますが、分からないように、すり替えながら、くどく相手を騙しながら話していると思います。
また専門書や憲法の条文・法律書など、すっと頭に入ってこないものに対し意味があるのかどうか、一般人には分からないことのようです。
そして【全てが難しい】と感じてしまうのです。
だから、考えさせないようにしているのです。
ところで、私たちが本当に必要としている知りたい知識は、どこからやってくるのでしょう。
本を書いている人もその知識を得るためにどのようにしているのでしょうか?
疑問がさらに疑問として出てくることが多くなります。
私自身、小学生時代から国語の成績が悪く、本が読めない人でした。
それは、声に出さなければある程度スラスラ読めるのですが、声に出して(音読)すると【詰まったり】【字が分からなかったり】して咎められることにコンプレックスに感じていたので、ずっと国語自体が嫌いで苦手でした。
そのため、何が書いてあるのか?さっぱり分かりませんでした。
【それは・これは】を文章中のどの文字を示しているのか?と言う問いに対して、理解できなかったことを記憶しています。
そして読めない自分に劣等感を抱き、ダメな自分に意識が向き、読むことが楽しいわけではないため、内容が理解できず、書いている内容を想像できないのです。
幼い頃に本を読み聞かせられたり、本の面白さを教えてもらったり、そういった教育を受けなかったため、読めないことに対する苦手意識が植え付けられ、知らず知らず書いている意味が解らないことに恥を感じていたのでしょう。
今も音読はあまり得意ではないようです。
でも、本を読むことは好きになりました。
【好きな内容の本を読む】
このことで活字になれるように努力しました。
今では想像もできます。
内容も理解できます。
早く読めるようになりました。
専門書・自己啓発本・小説・曝露本・オカルト的・・・興味を持った本は全て好きです。
あまり興味を持たい、途中まで読んだとしても頭に入ってこない本は無理には読まないようにしています。
自分自身にとって、それは今の時期ではなく、今は時間の無駄に感じるからです。
好きな本を読んでいると
自分自身疑問を抱いていたことが書いてあったり、今まで隠されていた内容を知ることになったりして、世間一般的には通用しない、理解しがたいことを知ることになります。
だから、それを知ったから、誰かに公表したとしても【陰謀論】だとか【変な人的】扱いをされがちになります。
さらに相手にとって不都合なことであれば【怪訝そうな顔】をされたりします。
真実はどこにあるのか、いつ話せばいいのかも
【全てがタイミングなんだなぁ~】と思う次第です。
分かったことは【この世は嘘ばかり】です。
何が本当で何が嘘かを見分けるのは自分自身だけなのです。
そして嘘がまかり通る世の中を我々はずっと生きてきたようです。
一般的に悪いとされていることを一般人がすれば【逮捕】【刑罰】【過料】などあります。
でも、殆ど今までの世界が正義に見せかけた【悪】とされる連中による支配だったようです。
【正義は勝つ】そんな言葉があります。
そんな時代はいつ来るのでしょう?
世の中は、陰と陽の世界
その陰と陽の中にも更なる陰と陽があるように、それがバランスなのです。
善だけでもダメ、悪だけでもダメなのです。
善の要素が多くても必ず悪は存在するものです。
自分の中に、善と悪があるように常にバランスを保つことです。
本の中に全ての真実が隠れていることもあります。
自分自身で探し出してはいかがでしょうか?
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
ゆうてんじ接骨院
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