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心配し過ぎは心と身体のトラブル



今日も定時に起床できたことに感謝です。

不調の個所が少なく動ける身体であることは嬉しいことです。

今日も楽しく何でもできる。そんな思いで行動します。

ご先祖様を意識して合掌します。

【いつもありがとう・ありがとう・ありがとう】

 

今日の院長の独り言

 

【心配事を心配し過ぎても疲れるだけです。】

 

起きていないことをあたかも起きてしまうかのような心配事!

自分自身のことであれば、起きるように行動してしまえば起きてしまうのですが、他人のことを心配し過ぎることは間違いでもあります。

 

家族のことで心配はするけれど、結局は自分自身のことではないのです。

他人であれ、身内であれ、心配事の種をどうするかを決めるのは最終的に本人であり、全てが本人の責任なのです。

 

でも多くの方は自分が失敗し、後悔をすれば他人の責任にし、他人を恨んだり、他人を巻き込もうとします。

【その矛盾と言うことに氣が付かず矛先が自分ではなく他人に目が向くのです。】

その方が自分自身が傷つかなくて安心なのです。

 

子どもは親の責任にします。

親も誰かの責任として逃げます。

 

社会が悪い

政治が悪い

政府が悪い

役人が悪い

 

【依存・転嫁・逃避】

 

自分に災難が降ってこなければそれでいいのです。

 

もしそこで暴言を吐けば因果応報であり、

いずれ自分自身に同じことが降りかかってくるのです。

 

例えば、

子供が大人になり結婚し子どもが出来たとします。

その子どもが大きくなり、何かのキッカケで同じような暴言を親に吐くのです。

 

だから言葉一つにおいても、

全ては最終的に自分で判断していることを忘れてはいけません。

 

人生における正解不正解はありません。

それはその方が歩む人生の一部分でしかない、通過点に過ぎないのです。

 

最終的に自分自身で色々と決めることが出来るのであれば、

ある意味

【何でもできる】ということなのです。

 

自分自身で責任を追うことが出来れば何でもしていいのです。

ある意味幸せだと思いませんか?

 

自分以外の他人の人生に対し過剰な心配は不必要ということです。

心配し過ぎれば、いずれ自身の健康の問題も出てきたりして、自身が大変な思いをするだけです。

 

冷たいように感じると思います。

今現在、自分自身のことを疎かにせず一番大切に出来ていますか?

 

自分のことがちゃんと出来ていれば、他の人のことも考えることが出来るのです。

 

自身に余裕がない時は、自分自身のことをまずは考えましょう。

 

他人は変えようと思っても変えられないのです。

自身の考え方や行動、言動を変えるしかないのです。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

ゆうてんじ接骨院

 

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