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先輩と後輩



定時の起床で、直ぐに瞑想をします。

眠さはありません。心地の良い時間を味わいます。

そのうち朝日が昇り、その光を額に受けるようにします。

身体のチェックをすると必ず氣になる場所があります。

ただ身体の認識をするだけ、毎日の動ける身体の状態を把握します。

今日も一日楽しい時間を過ごします。

ご先祖様との繋がりを意識して合掌します。

【いつもありがとう・ありがとう・ありがとう】

 

今日の院長の独り言

 

【どんな人でも過ちはあるものです。】

 

人は常に優劣を付けたがる。

先に生まれたから先輩でありちょっとした権力を持ったかのように感じる。

 

それが何となく心地よいと感じる。

 

その多くは学生時代

1つでも学年が上であれば威張ることが出来る。

 

そして社会人になれば会社での役職で、ある程度の支配権を持ったかのように、自分より下と見なした人に対して何を言っても許されると思いがち・・・・

 

子ども達の世界でも

大人の世界でも

そう言った権力や支配を利用して人に暴言を吐くことは多くあるでしょう。

 

その時、一時の感情のまま・・・ついつい・・・感情を放ちます。

 

そして言われた側は大きく傷つくことになるのです。

 

それは今までそうした環境下で成長期に育てられてきた昭和世代の一つの特徴でもあります。

 

それがどういうことなのか?

理解し改心すれば自分自身で変えていこうと思うのですが、恐らく分からないまま過ごすことが多いでしょう。

 

典型的なのは部活の指導

生徒と先生

 

生徒に対し、教育的指導と称し人格否定をするくらいの発言は人間としてやってはいけないこと。

 

先生も人の子

ただ先に生まれただけ・・・・魂年齢は低いかもしれない。

 

誰しも言葉や行動の過ちを冒します。

でも、立場を利用して教育者として自分さえ良ければそれでいいという考えであれば、過ちに氣付くことはないでしょう。

 

ただ与えられた自分の仕事を良しとしているのでしょう。

勘違いをしているとも知らずに・・・・

 

学校での先生の指導がとても偉そうに見えるのは私だけでしょうか?

そして学校の先生としての職業柄、何処でも横柄に見えるのは私だけでしょうか?

 

そのように見られがちだと理解できれば、どの場面でも発言や態度には氣を付けましょう。

特に日本語には【言霊】がありますから・・・・

 

ただ先に生まれただけなのですからねぇ~

年齢を重ねたから偉いわけではないのに、そうした根強くある日本の縦社会の構造自体おかしなことだと思っています。

 

また記憶力がいいから偉い、良い学校を出たから偉い、何かが飛び抜けて出来るから偉い、お金を一杯稼いでいるから偉い、そんな我欲で自分を誇張した状態で、人と関わらない方がいいように思います。

 

その考えや思いが相手に伝わり不快な思いをさせてしまいます。

 

出会った人同士で凸凹を埋め合っていければいい世界になるのではないでしょうか?

自分自身を変えていくのは自分だけです。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

ゆうてんじ接骨院

 

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